人生は落ちるとこまで落ちてもまだ落ちる

底辺のドン底を味わっても、心無い扱いに、また落とされる。 睡眠薬をもう2年毎日欠かさず飲む生活となった。それでも夜は悩んで寝れない。 他人のことを思って助言する。逆に怒られる。口コミで名前を晒され、酷い扱いを受ける。 逆にアドバイスを少なくす…

これで戻れ、進めない人生への…。

それは突然知る事となった。 今でも生まれ変わりと思える程素敵な人だった、お付き合いをさせて頂けた女性が、LINEのフルネームの苗字が変わっていた。 左手の薬指には婚約指輪をしていた。 そう。ご結婚されたのでした。 今でもいつでも、思い続けていたの…

他人には理解してもらえない

先日、会社に命日にはお休みを頂きたい希望を提出した。今の会社は理解して頂きお休みの手配を頂けた。本当に感謝です。 友人にその日に遊びに誘われたが、命日の事を伝えたら、 「いつまでそんなこと言ってんだよ!忘れる為にも遊びに行こうぜ!好きだった…

辛く永い暗闇

朝晩が少しずつ涼しくなり、夏の終わりと冬への衣替えが交差するこの時期。 曇りの日は薄暗くなるといつもより早く街灯が点灯。 心の中で、貴方は今何をしていますか?と、問いかける 貴方は答えるであろう。 …(無言)。 そう。何も帰ってこない。聞こえな…

今年も辛い時期に近づいてきた

ねぇ?貴方は今どうしていますか? 生まれ変わりの貴方、今何処で何をしていますか? 先週貴方と結婚をして家に帰ると貴方が居る夢を見ました。部屋の片隅には、干したてのお布団が畳まれており、帰ってきた私に、ベットの上に運んでおいてって頼んでくれた…

44年を振り返って

厳しい険しい人生。 まだこれからももっと険しいのかなぁ? いつまで私は山や谷を登ったり降りたりしなければいけないのでしょうか? 人生の先輩方々教えて頂けますでしょうか? そして毎日思うのは、あの日住む世界が一瞬で違ってしまった彼女の元にいつ追…

全く別の道

ドコモを退職後、看病は必要ないことがわかり、ドコモの皆さんには早くて頑張って半年後には絶対戻ってくるので待っていて下さいと伝えてあったが、半年間働かないわけにはいかないので、ドコモショップを数件面接受けたが、過去の経歴が高すぎるので、うち…

選択の時

責任者として8年が過ぎた事であった。 他店からの引き抜きの話があった。 給料は今と同じで、店長教育クラスのコンサルタントクラス マネージャーと言う役職だった。 私はその頃変な噂を社内で立てられ、弁護士にも相談をし始めていた頃であった。まぁ〜この…

人生は甘くない。別れと出会い。そして別れ

失ったものは彼女だけでは無かった。信用もなくなった。友人を信じるという信用だった。 少し前にこんな事をお話ししたと思いますが、不思議な体験をする様になった。と、それは観世音菩薩坐像様とのお話ができる様になった事であった。 そんな時父親の容態…

ドコモ時代 苦悩

大手ショップのドコモショップを就活したが、1回目はお断りされた。 悔しくて、どこがダメだったのかと聞いたのと、もう一度面接をお願いしたいと、お願いした。 試験日は私がこれが万全という日で良いとのことで、3ヶ月もう一度頑張った。そしてもう一度挑…

別々の住む世界が違ってしまった

2ヶ月ぐらいして、日産の時の友人が、お見舞いに来てくれた。いつまでも部屋にいるとダメだから、外に出て食事に誘ってくれた。 だが実家に帰ってくると彼女の事ばかりで、毎晩寝て朝を迎えると、枕が涙で濡れてしまっている。これは今でも毎日である。 彼女…

カウントダウン0

車内でどのくらいであろう。電話かけて、ちょっと待ってみるか?って思った瞬間から数秒だと思う。 彼女のお母さんから携帯に電話が入った。 物凄く慌てた電話で今すぐ、 兎に角◯◯の救急まですぐ来て。彼女の名前 ◯◯が車に跳ね飛ばされて、病院に運ばれた。…

就職 そして人生の絶望へのカウントダウン

社会人学校が始まった。 自分で考えて自分で見つけて動く。 教えていただいたことには感謝を伝える。 辛さから逃げてはいけない。チャレンジしなければいけない。これが社会人学校の初歩の初歩。 私の配属は実家から通勤では無く、静岡県の西部にある店舗で…

専門学校生活スタートから卒業

専門学校の生活がスタートした。 私にはこの学校で目標があった。学生会の会長を絶対に務めることと、SONYに絶対に入社すると言う目標に向けて行動することであった。 学生会選挙で見事に次期会長の選挙に当選した。 2年間全く頼りない出来ない会長であった…

高校生活 最後に向けて

学校の中では、唯一守ってくれたのは、生徒会の仲間たちだった。あの仲間がいなかったら、絶対に自主退学していたであろう。 あの時の皆、本当にありがとう。今でも感謝しているし、守ってくれてありがとう。 こんな時、自分に夢ができた。 SONYのMDウォーク…

高校進学 入学から中期

高校生活が始まった。 高校は私にとって地獄の3年間であった。 高校の1年の1学期に、授業中1人のクラスメイトに向かって、消しゴムを投げたり、ゴミを投げていたので、注意したら、3年間のイジメの対象になった。ごく一部のクラスメイトは、裏では構ってくれ…

中学校 卒業

卒業に近づくにつれ、進路の話が盛んになった。 自分の中では、全く何も考えていない発言と思えるかもしれないが、プロのマジシャンとして、とある方の弟子入りをし、将来プロとして頑張ろうと考えたりしていた。 高校より、とにかく働きたかった。 だが、親…

中学校 中期

もうこの頃になると、何もかものテストがダメになった。 他人とはちょっと違って、マジックに目覚めた。今の40代中間の方は知っている人も居るであろう、なるほどザ・ワールドのトランプマンである。 書籍を初級編と中級編のマジックの入門で自分も本がビリ…

中学校のスタート

小学校のほぼ真横にある中学校への進学だった。 通学路もあまり変わらずにいつものスタートだった。 塾、習い事、家庭教師スケジュールのお陰で、中学1年の1学期の成績のままで、3年まで頑張れば、静岡の公立高校のトップ2校には簡単に入れると言われた。親…

小学校時代 中期から卒業

学年が上がるにつれ、友達も増えていった。 この頃、中学受験を親から言われた。1週間塾と家庭教師と習い事で、友達とも遊べない状態だったのと、友達の会話について行けなくなっていた。あのテレビ見た?これここから入ると、違うスタージにワープするんだ…

人生道選択と小学生のスタート

私は、母親を選んだ。 父親は実の父で無く、育ての父となった。 私は街の小学校を選んだ。 今までと住んでいる環境も匂いも風景も違った。マンションという所に初めて住んだ。 マンションからの景色は建物ばかりで、緑はほとんど無かった。 小学校の入学式当…

幼少期卒業と人生道の選択

幼少期の終わり頃だった。 お父さんと言う存在が突如出現した。 知っている人がお母さんと言うことも、認識し始め、更にお父さんと言う人が出てきた。 お父さんと言う人は、祖母の家に来るたびにオモチャを買ってきてくれた。初めはお父さんと言う言葉が分か…

幼少期

私の人生道は、静岡県静岡市、1978年の冬にスタートしました。 私の記憶に残っている幼期は、父親が居らず、母親の実家の山奥で育てられたことです。母親は市内で働いており、住まいも市内に構えており、ほとんど顔を会わせる事も無く、幼稚園の式と言う時位…