人生道選択と小学生のスタート

私は、母親を選んだ。

父親は実の父で無く、育ての父となった。

私は街の小学校を選んだ。

今までと住んでいる環境も匂いも風景も違った。マンションという所に初めて住んだ。

マンションからの景色は建物ばかりで、緑はほとんど無かった。

小学校の入学式当日。

周りは見た事ない誰この子?と言う子ばっかりだった。今の年齢になれば当たり前の事であるが、その頃の自分は、あの子が居ない、◯◯ちゃんが居ないと、見渡しながら思っていた事を思い出す。

1クラス40人で5クラスある、その当時では、何も珍しくない光景ですが、私にとっては、ここに何日間来るのかなぁ〜っと思った。

先生の説明も耳に入って来なかった。

 

今でも思い出すとおかしな事を思う私だなぁ〜って思うが、自分は1年2組だったのだが、明日は1年3組また次の日は1年4組と1日ずつクラスが変わって、6年5組迄はあっという間に終わると考えていた事を思い出す。何故そんな事を思ったのか未だに解らない。

 

そんなこんなで小学校生活がスタートとして3日目の日だった、いきなりテストがあった。

 

算数のテストだった。

幼稚園の時に読み書きや何かを覚えるなどのお勉強の時間などは一切ない幼稚園だったので、全てがわからなかった。

 

もちろんいきなり親が呼び出される事態となった。街の幼稚園では読み書きやお勉強の時間は当たり前。人生の一番最初のスタートから挫折の一歩だった。

1週間も経たないうちに、時計の読み書きの所まで。

家では学校から帰ってきたら、宿題を怒られながら、終わらせて、問題集をやらされ、勉強というものが苦痛だった。それ以上に苦痛だったのが、母親からの仕打ちだった。

勉強がわからない部分があり間違えると、定規の線を引く部分を縦にして、頭を思いっきり殴られて、泣きじゃくると、お腹を蹴られたり、顔面をグーで殴られたり、目を叩かれたり、ビンタは当たり前、コンパスの針の部分で、手の甲をツンツンされたり、髪の毛を引っ張られて、タンスに頭を何度もぶつけられたりされた。

 

私がお風呂に入った後、お風呂がぬるいと、完全に火傷レベルまで、沸かされたお湯に入れられて、全身がヒリヒリするくらいのお風呂に無理やり入れられた。この辛さは今でも憎い。