全く別の道

ドコモを退職後、看病は必要ないことがわかり、ドコモの皆さんには早くて頑張って半年後には絶対戻ってくるので待っていて下さいと伝えてあったが、半年間働かないわけにはいかないので、ドコモショップを数件面接受けたが、過去の経歴が高すぎるので、うちでは難しいと言われ断れ続けてしまった。

 

仕方なく。別の道を選択するきっかけになったのは、自宅から10分の温泉施設の館長の求人だった。面接に行ったら、その日のうちにいつから来れますか?と言われたので、明日からでもという事で、即決まった。働いてみたが、まぁ〜酷い。スタッフのことをただの使えなくなったら兵隊を用意すればいいと言う考え方の会社だった。私はスタッフは家族の様に大切でなんとか改善したいと言う気持ちで、スタッフの一人一人と面談を行ったら、いままでの酷すぎる経営や対応にブチギレて、改善をして今すぐ現場の人間を大切にする会社に変わるか、買われないと言うのであれば、私を解雇しろ。どっちか今すぐ決めろと迫ったら、即解雇を選択した。スタッフの皆には変われない会社ということを伝えて改善には相当腐った根が張ってるからすまないと伝えて去った。

 

その会社は、残業代を払わない。労災をもみ消した。労災にしたくないから、保険証を使って差額分の支払いを領収書をもらってきてくれたら即その場で現金で返金すると言う事を言ってきた。

 

ジア塩素からの有毒ガスで従業員が倒れた時も救急車呼ぶなと指示されたとのこと。

 

レジオネラ菌がたくさんフィルターについていてそれを指摘しても交換しない。フィルター代が勿体ないだって。呆れて物が言えないから、業者を呼んで勝手に交換させた。お客様の命を奪った館長にはなりたくないし、従業員を殺人の場所で働かせていたなんてさせたくないし。

 

あんな会社が倒産しないのがおかしい。

 

次に就活したのが、生前生理の会社だった。

即内定をもらえて次の日から勤務となった。仕事内容は一日二、三件の片付けで、月に30万の給料だった。高いのはありがたい。

 

だが内容は違った。一日中軒並みに不用品回収を回収して、依頼された自宅に湯用品を引き取りに行くと、専門部隊が貴金属の買取や、テレカの買取を迫ってやたら無理やり同然の悪どい商売だった。警察が来たら隠れてとか、早く引き上げてと言われたの。初めは分からず何言ってるんだろうと思っていたが、ある日自分があんな悪どいやり方で嫌々お客さんから貴金属を買い上げている会社かと知った。しかも金の相場が1万の時に200円でとか、買い取ってた。その事を知った日から、私は訪問せずに、兎に角ひたすら歩くだけにして一件も訪問するのを辞めたのと、新しい新人が入ってきたら、食事時に一緒に食事をして即この会社をやめた方がいいと説得した。

 

まぁ〜何も取れない営業だから会社側から退職を促されたときには、言ってやりました。静岡県で仕事できない様にしてやる。他の県でもそんなことしてみろ。塀の中で暮らすことになるぞ。と言ったら、その会社はあっという間に静岡から消えていた。

 

次に専門学校時代の少し知識が活かせる検査器を作っている会社に勤務した。

少しこの頃体の調子を崩してしまい、会社から出勤の面でちょっと規定に引っ掛かっちゃったから退社して欲しいと言われ退社をした。この会社では、今まで経験できない様な、貴重な経験と知識を色々教えていただけた。パートの社員さんとは今でも仲良くLINEで会話します。本当に貴重な時間でした。

ここで半年間経過したので、ドコモに戻ろうと思い試験に挑んだが、求めていた部署に空きがないため今回はとのことだった。

 

次に自動車学校の総務の仕事の面接にいた。総務より教官はどうですか?と言われ、チャレンジしてみます。だがダメだった場合は総務でお願いできますか?と伝えて、内定を頂けた。

 

教官は筆記と実地試験と警察官の面接があった。

 

筆記も実地は死ぬ気でなんとかクリアできたが、最後の面接で私はフラッシュバックしてしまった。そう。彼女の事だった。辛い記憶がかなりキツくのしかかった。会社側からもキツそうだから、この現場での勤務はやめた方がいいよと言われ退社をした。

 

この時私は43歳になっていた。

 

遂に破産宣告に踏み切った。

 

そう 自己破産だった。

 

貯金も完全に底をついた。

弁護士ともお話をして、自己破産に踏み切った。

 

だからと言って遊んでるわけにはいかないので、就活して、携帯電話を修理する会社に勤務したのであった。

 

ここの社長は神様みたいな方で、私の自己破損の弁護士費用と裁判費用を全額出していただいた。しかも返済はしなくて良いから、これから先の勤務を頑張ってと言う条件だった。ここまで職を転々としてここまで転がってきた私を救ってくださった。今こうしてこのブログを書けているのも社長のおかげです。