専門学校生活スタートから卒業

専門学校の生活がスタートした。

 

私にはこの学校で目標があった。学生会の会長を絶対に務めることと、SONYに絶対に入社すると言う目標に向けて行動することであった。

 

学生会選挙で見事に次期会長の選挙に当選した。

2年間全く頼りない出来ない会長であったが、周りの支えで何とかやり抜いた。やり遂げさせてもらえたと言った方が正解だった。

 

本当に苦しかったが、地獄の高校時代よりは本当に幸せだった。

 

授業は工業高校を出ていない為、全く珍紛漢紛で毎日が血を吐くような苦しい授業であったが、知識は0から1には変わった。

 

良い先生とも出会えた。今でも学校の先生とは交流がある。本当に良い恩師との出会いであった。これも小学校の時のあの先生の一言が自分を変えてくれたから、この先生とも出会えたのである。

感謝です。

 

2年と言う時間はあっという間で就活か大学への進学か人生の選択次期になった。SONYと言う会社を7社受けたが、この頃は不景気どん底の就職難の時期であり、SONYの説明会でもはっきり言われた。今年の入社はかなり厳しいと思って下さいと、と。

それでも諦めず、受け続けた結果、学校であと2人だけ就職できていないメンバーの1人になったしまった。

 

その時、日産のブースに話を聞きに行った時に、人事の方に一回本社に来て話だけでも聞いてみませんかと声をかけて頂けた。

 

なぜかとんとん拍子でお話を聞いて対談終えて帰ってきて、2日後に日産から内定出たぞーって担任が駆け寄ってきた。え?私の中ではこの厳しい中、何もわからない私なんかを採用してくださる会社に感謝であった。当回りになるかもしれないが、いろんな経験をしながらSONYを目指す方法がある事も学校の進路相談の先生から言われ一旦は日産で頑張ろうと就職させて頂きました。