人生は甘くない。別れと出会い。そして別れ

失ったものは彼女だけでは無かった。信用もなくなった。友人を信じるという信用だった。

 少し前にこんな事をお話ししたと思いますが、不思議な体験をする様になった。と、それは観世音菩薩坐像様とのお話ができる様になった事であった。

 

そんな時父親の容態が思わしくない事が続いた時、辛いが別れの時だ。◯月◯日の夕方ぐらいを皆で送る様にとおっしゃられた。父の実の息子の前や親戚の前でしっかり話をしたところ、気狂いと言われたが、その日の時間も言い当てた。

 

父は多くの親戚と家族に見守られ旅立った。

 

 

 

また、仕事の忙しさと、借金返済の毎月のやりくり。

この時30代近くなっていた。

 

 

 

そんな時出会った。

東京の医師をしている友人からの紹介であった。

2度と出会えなくなってしまった彼女との事を心配してくれて、東京にちょっと遊びに来いよと誘ってくれた。

 

その友人は本当に俺のことを心配してくれて、借金の一部も負担してくれたり、その友人の行方を調べてくれたりして本当に今も良き友です。

会う当日、友達を連れて行くけどいいか?と言われたのでいいよと伝えた。

 

そして久々の再会だった。その時だった。一瞬で時は止まった感じだった。そこに居たんです。亡くなった彼女が。本当にいたんです。何もかもそっくり。どこか違うところを見つけるのが不可能な位のそっくりな彼女。

お前に紹介したいんだ。お前のこと話ししたら是非したいと言っているから連れてきたんだ、と。

声、身長、顔、食べ物の趣味、も、何もかもが一緒だったが唯一違ったのは、住んでいる場所と年齢だった。

 

友人にしてやられた。俺病院から呼び出しだから、後は二人でと。お互いお付き合いがスタートするまでは時間がかからなかった。相手からスタートを言われた。私は生まれ変わりかと思ってしまうくらいそっくりだった。

 

私はしっかり今までの事を報告する様に、旅立った後から今日までの事も伝えた。

 

この恋愛に大反対だったのは、彼女のお母様だった。不謹慎だ。絶対にお付き合いも、会うことも認めないと言われたとの事だったが、彼女のお母様とお話する機会ができた。思いの打ちを真剣に伝えた。

 

その日の夜に彼女から、連絡が来た。本当にあんたの事好きなんだね。いい人って事は凄く感じたし、真面目なんだね。あんなにお母様出てきて怯まないし、どんだけあんたの事愛してるし、好きという事を真っ直ぐ伝えてきた姿見てちょっと理解できる人かもね?って言ってたよって言われた。だけど、今はすぐにお付き合いは認められないからもっと信用が欲しいって言ってた。

 

それからは必ずお母様に了解される様に、こちらの連絡先の住所も実家の電話席にも、いつでも気軽に連絡をいただける様にし、彼女の携帯にお母様から連絡があった時は、何をしていても優先で電話に出る様に約束した。

 

それでもお母様の反対と言う気持ちは強くなってしまい、彼女に別のサッカーのコーチを勧めたり、精神的に彼女にダメダメダメ攻撃が激しくなり、お母さんがうるさくって、と、彼女から相談された。相談が長引いてしまい、東京を出発する時刻がいつもより2時間遅くなってしまった。その日はちょうど冬の寒さがスタートし始めた10月の5日だった。今でも覚えている。新東名高速道路で私の不注意により大きな交通事故を起こしてしまい、彼女もお気に入りだった車が大破した。しかも車のローンが全て完済日の記念日でもあった。

そして彼女と永遠の別れの1ヶ月前の日でもあった。

 

事故から約1ヶ月の日に久々の再会。彼女のお母様から物凄い罵声と恋愛の禁止を宣言された。

娘を乗せている時に事故にでもなった場合困るからと。

 

その日は、近くの駐車場で話をして1時間で東京を後にした。

 

次の日であった。LINEにいきなり、別れよう。親がうるさくって。私の事本当に大切と思うなら別れて。ここまで苦しませないで。大切なら苦しませることしないよね?と、言われたので、彼女を苦しませるために恋愛していたわけでは無かったので、電話で30分説得され別れることになった。

また一人になってしまった。別れを経験した。今度は同じ世界での別れだった。

 

また暗いトンネルに入っていった。

 

医師の友人にも、逆にお前に苦しみを与えてしまった事を申し訳ないと言われ、謝罪された。

 

友は、元気づけてくれるために探してくれたのに、自分の不甲斐なさに悔やんだ。

 

私は今でも愛しているし、好きです。

 

私は何年経とうとも待っています。

 

その頃会社の勤務にも影響が出始めた。