ドコモ時代 苦悩

大手ショップのドコモショップを就活したが、1回目はお断りされた。

 

悔しくて、どこがダメだったのかと聞いたのと、もう一度面接をお願いしたいと、お願いした。

 

試験日は私がこれが万全という日で良いとのことで、3ヶ月もう一度頑張った。そしてもう一度挑ませて頂いた。

 

見事ドコモショップのスタッフとして勤務ができる様になった。

 

コンピュータの操作と接客の方法と色々学ぶことが多かった。忙しいのはありがたい。悲しい時間を思い出す時間を奪ってくれるので。

そのショップで勤務し始めて2年近くが過ぎようとしている時であった。

 

新しい店舗が1店舗できる求人があった。

副店長を採用との求人であった。

 

自分の中でもステップアップしたいと思っていたので、連絡したら、かつて、2店舗掛け持ちでバイトしていたもう1店舗の社長が経営する店舗だった。その社長は兎に角やり手だった。私は馬が合わない事が多かったため最後は喧嘩退社のように去っていた社長のドコモショップ新店舗だった。

 

まぁ〜電話してしまったのでとりあえず話だけでも聞きに行くことにし予定日に予定場所に向かって2時間くらい話をした。

 

給料の提示や、迎える役職が責任者という事であったが、副店長だと思っていたので、わかりましたと返事をした。

 

新店舗出来上がるまでは、新スタッフは系列店で研修という事で、私も研修の中に加わり初日を迎えた。行ってみたら話が違った。責任者という事だったが、店長の役職になっていた。

え?

 

早速始まった。以前も言った言わないで揉めたことがある社長との初日からバトルだった。早々災厄のスタートだった。

 

なんやかんやで、忙しく働き始めていた頃でした。突然金融会社から電話が入った。

 

今月のお支払いが遅れています。至急お支払い頂けますか?と?そう。あの連帯保証人の件であった。即友人に連絡したら、銀行変えて、手続き漏れしてただけだから安心して良いよ今日支払ったからと言われ、その後数ヶ月何も無かったので、私も彼女との思い出の場所に少しづつ慣れるためにまずは友人のレストランを予約した。その日の予約最初に入れてもらった。レストランに着いてびっくりした。社長が逃げた。従業員がレストランの本店の外に居て、サラ金会社の人も何人もいた。数ヶ月後に警察官の友人から教えてもらったが、国外に逃げてしまった後であった。勿論連帯保証人である私に全ての借金が降りかかってきてしまった。毎月恐ろしい額を支払うことになった。給料の八割は全部返済。貯金も少しづつ消えてく感じになっていった。

 

この頃もう一つの問題が出てきた。

 

育ての父の小細胞癌の発覚だった。

 

しかもステージ4だった。

 

父は県を退職し、退職後も他の会社で勤務して、私を専門学校まで卒業させてくれた。

本当の父親だと思っていた父親が癌なんて凄くショックだった。治療は本人も辛いが、周りの家族も辛かった。親戚や父の実の兄弟や姉妹は母親対して物凄い当たり方をした。癌になったのはお前のせいだと、言ってきたのであった。いくら嫌いな母親にでもそれは許せなかった。